はあちゅう氏は”セクハラ告発トラブル訴訟”で「A弁護士」を相手に開示請求を行ったのか

これもニッチな解説ではあり、また、憶測に過ぎないものではあるが、少しだけ確認をしておきたい。

 

bunshun.jp

 

ここに紹介されている事例については、記載されている情報を見る限りでは、はあちゅう氏の勝ち目は薄く、不当訴訟と言えるかどうかはともかく、これに付き合わされる被告であるA弁護士への同情を禁じ得ない。はあちゅう氏はいわゆるmetoo運動ブーム時に自身も第三者の実名を挙げて告発を行っており、その当人がこの記事に記載されているような批判に向き合わないばかりか、訴訟まで起こしてそれを止めようとしてくるというのは、どのように自身の中で整合性を持たせるのか、興味深くすらあるというところである。

 

ところで、この記事において、はあちゅう氏が行っているとされる大量の開示請求への言及があることもあり、ブコメにA弁護士を対象とした開示請求がなされ、それが認容されたことによる開示情報を基に訴訟が行われている、という理解をされていると思われる方が散見される。しかしながら、おそらく、本件では開示請求は挟まれておらず(あるいは開示請求をしても認められず)、直接訴訟を提起したものと思われるので根拠を記しておきたい。

 

根拠1.訴状が「突然」「事務所に」届いたこと

発信者情報開示が行われる場合、プロバイダ責任制限法により、被開示者には意見照会がなされることになっている。ところが、A弁護士は、訴状が突然届いたと述べており、このような意見照会はなかったと読むのが自然である。

しかも、訴状はA弁護士の自宅ではなく、法律事務所に届いている。もちろん、A弁護士が事務所のインターネット回線を利用してtwitterへの投稿を行っている場合等、開示情報が事務所の所在地であったということは十分に考えられるし、その場合、事務所に訴状を送ることもあり得るかとは思われる。

他方、A弁護士は上記の記事では匿名とされており、また、twitter等でもハンドルネームを利用しての活動をされているものの、顔写真付きのプロフィールで、実名と所属事務所も簡単に調べることが可能となっている。また、はあちゅう氏のサロンでの発言と、今回問題となっているツイートの関連性は明らかであるため、はあちゅう氏からすれば、少なくとサロンの情報からA弁護士の特定につながる情報を入手できたものと思われる。そうすると、サロンの性質からして、A弁護士は実名の登録をしていた可能性が高いように思われ、はあちゅう氏はA弁護士の実名を簡単に知ることができたと考えられる。

このような状況では、はあちゅう氏は、時間と手間がかかる割に成功するか不明な開示請求等を行うことなく、訴状を直接A氏の事務所に送達をすることが可能であると言える。他方、通常、個人相手の訴訟の場合には、住所に送達を行うことを第一に考えるが、そのためには開示請求等の一定の手続きが必要となるところ、自宅住所には訴状は来ていないようである。

そうだとすると、事務所に訴状が届いたことも、開示請求を通さずに訴訟を提起したという方向に親和的な事実と言える。

 

根拠2.A弁護士の発言の違法性はないか、あっても阻却されそうであること

A弁護士の発言は、以下のようなものであった。

《そう言えばかつて某オンラインサロンでセクハラ被害の告発(真実かどうかは不知)がなされたのに、サロンのオーナーが告発投稿を無断で削除したときは、普段温厚な私もキレた。セクハラ被害を開示した者の声に十分寄り添わないオーナーの姿勢に絶望した。オーナーは女性だった》

この発言は、オンラインサロンのオーナーが、サロン内のセクハラ告発について、十分に検討、対応せずに無断でこれを削除するような人物であるということを適示しているもので、その社会的評価を下げるものと言い得るから、名誉棄損であると一応は言えるだろう。

しかしながら、この発言ははあちゅう氏をことさらに明示した発言ではない。A弁護士のことを知っていれば簡単にはあちゅう氏であると特定できたのかもしれないが、そう考える資料は少なくとも記事上にはなく、裁判所としても、権利侵害の明白性を簡単に肯定できる発言とは考えにくい。

また、この発言は、セクハラ被害告発の取り扱いに対しての問題提起という公的な意味合いを持っていることが明らかで、真実性についても、サロン内の投稿という形に残るものであるため、比較的立証しやすいものになっている(「無断で」が微妙だが。)。そうすると、権利侵害の明白性という観点で、裁判所がこれを認容するということはやはり少し考えにくい。

したがって、内容からも、開示請求を通したとは考えがたいということになる。

 

というわけで、明確な根拠はないものの、私の感触からすると、ほぼ確実にいきなり訴訟に来たという見方で良いように思われる。その点、もし裁判所批判等を考えておられるのであれば少し慎重に、ということだけ記しておく。