宗教2世漫画は反表現規制の『神様』か

はじめに

安倍元総理の暗殺事件において,被疑者男性が旧統一教会の信者である母を持ついわゆる「宗教2世」であったことがクローズアップされている。その情勢の中で,2022年3月17日に連載終了となった漫画『「神様」のいる家で育ちました~宗教2世な私たち~』(以下「宗教2世漫画」という。)について,その連載終了に至る経緯が,「宗教団体(幸福の科学)による圧力に雑誌編集部(集英社)が屈した結果,作者の表現の自由が侵害された」事例として,特に昨今の表現の自由の危機を主張する人達を中心に再度着目されてきていると感じる。それは,あたかも,死と復活によってその宗教的権威を示したイエス・キリストのごとくである。しかしながら,前記の単純化された理解には問題があり,端的に言えば,新興宗教団体という叩きやすい相手を叩くために表現の自由を悪用しているというに近い状態にあると考えるため,整理しておきたい。結論としては以下のことを詳述していく。なお,筆者は第5話のみ閲覧済みだが第1話から第4話については読んでいない。

  • 宗教2世漫画の問題となった話(第5話)は,そのままでは名誉毀損に当たる可能性があり,幸福の科学の抗議は不当とまでは言いがたいこと
  • 集英社編集部は単純に抗議に屈したわけではなく,名誉毀損の違法性阻却の道を探ると共に作品及び作者を守る行動をしていること

事案の概略

2022年1月26日 宗教2世漫画第5話公開。一応宗教法人の名称は明示されないが,「エル・カンターレ」等の宗教用語をそのまま使用している等,匿名化はされていない状態。

(2022年1月28日 幸福の科学から編集部への抗議の電話及び抗議文送付。 ※やや日刊カルト新聞より)

2022年2月1日 宗教2世漫画第5話の公開停止(『公開終了』)。

(2022年2月8日 集英社ノンフィクション編集部の編集長など数人が幸福の科学総合本部に謝罪のため訪問。 ※やや日刊カルト新聞より)

2022年2月10日 集英社謝罪文の掲載と共に宗教2世漫画の第1話から第4話までも公開停止。

2022年2月~3月頃? 作者と集英社編集部との作品再掲載に向けた協議が行われるも折り合いが付かず,作者側から連載終了の申し入れ。 ※作者Twitterより

2022年3月17日 宗教2世漫画連載終了

宗教2世漫画第5話の問題点

この点について,幸福の科学が提出したとされる抗議文は公開されておらず,やや日刊カルト新聞の独自取材という形で以下のようなものとされているのみである。

教団側が「事実に反する」「宗教感情を傷つける」などと主張する箇所の削除を求める内容で、作品全体の削除は求めていない。

やや日刊カルト新聞: “宗教2世”マンガ集英社問題、原因はやはり幸福の科学からの抗議

現状では作品も公開を停止されているものであり,適切な引用が不能である限界があるが,問題とされる点は,事実に反する点と宗教感情を傷つけるとされている点であることは概ね間違いないようである。

本作品は、「宗教2世」が「親との関係」において抱える苦悩について問題提起することを目的としていましたが、第5話についてはあたかも教団・教義の反社会性が主人公の苦悩の元凶であるかのような描き方をしている箇所がありました。

紹介したエピソードはいずれも「宗教2世」への取材をもとに構成したものでしたが、結果として特定の宗教や団体の信者やその信仰心を傷つけるものになっていたことは否めません。

「神様」のいる家で育ちました〜宗教2世な私たち〜 | よみタイ

集英社さんは、ひとりからのお話で「こういう教団でした」とするような今の描き方は取材不足であり、ほかの方々にも話を聞いたり、間違いがないか教団にも意見を聞くべきとのお考え。

https://twitter.com/marikosano_o/status/1504483953704865793

教団から「こんな教義ではない」と言われた時に、きちんと裏取りをしたと言える状態ではないとのお話でした。https://twitter.com/marikosano_o/status/1504483955231567872

嫌な思い出しかなかったような描き方は現役信者を傷つける、様々な団体を1冊にまとめることは、自分の宗教が絶対だと信じている信者に「あんな団体と一緒にするなんて!」と憤慨させるかもしれない、などのお話もありました。

https://twitter.com/marikosano_o/status/1504483956536020992

このうち,まず,「事実誤認」とされる部分について検討しておきたい。

おそらく,この事実誤認とされるもののうち,少なくとも一つは,男女交際禁止に違反した生徒が,「鍵付きの小部屋に閉じ込められ 延々と教祖の法話を見せられます」という漫画内の記述のことだと思われる。

この点について,WEBでアクセスしやすい範囲では,ほぼ同様の話がサイゾーウーマンに生徒の体験談として載せられており,それに対する幸福の科学側の反論も掲載されている。

異性絡みで独房懲罰を受けたという話はよく聞きましたね。

(中略)

謹慎処分を受けた子から聞いた話によると、寮に独房懲罰専用の部屋があって、そこで過ごしたとのことでした。部屋の中には、大川の顔写真が飾られた祭壇が置かれていて、その目の前に設置された机に1日中座らされ、毎日違う大川のビデオを見て、反省文を書かされたそうです。

【幸福の科学学園1期生語る3】異性交遊した生徒は「独房懲罰」!? 鍵のない部屋で息苦しい寮生活(追記アリ) (2019年8月19日) - エキサイトニュース(4/9)

幸福の科学広報局コメント4】本記事では、同学園に「独房懲罰がある」とし、「寮に独房懲罰専用の部屋」が存在するとしていますが、そのような懲罰、個室ともに存在しません。規則を破った生徒を、一定期間謹慎とするとしていますが、事実に反します。謹慎とするのは、法令に反した行為が中心で、これは学校教育法上認められた範囲で教育目的として行っており、一般的にどの高校でも同様です。また「新潮」記事の引用における「男女交際」については、これを禁じておらず、事実に反します。

【幸福の科学学園1期生語る3】異性交遊した生徒は「独房懲罰」!? 鍵のない部屋で息苦しい寮生活(追記アリ) (2019年8月19日) - エキサイトニュース(5/9)

この「独房懲罰」については,引用部にもある新潮の記事においても触れられ,幸福の科学側が名誉毀損を争っている。当該裁判については,幸福の科学側の敗訴(名誉毀損なし)とされているが,その中で,独房懲罰については,以下のように触れられている。

控訴人で行われている隔離措置は、期間中、食事及び入浴時間も他の生徒と接触や連絡ができず、部屋で、勉強をしたり、Xに関するDVDを見たり著書を読んだりしなければならないのであって、全くの自由時間が予定されておらず(中略)、このような隔離措置を比喩的に“独房”又は“独房懲罰”と評価しているのであり、控訴人において生徒に罰を与えて懲らしめることを目的とする過度の苦痛や恐怖心を与える内容の懲戒処分が科されているとの事実の摘示

東京高裁平成27年3月26日判決

この内容と漫画の記載は率直に言えば五十歩百歩であると言えるであろうが,それでもやや漫画の記載は誇張的であるように思われる(漫画の記載は,その絵も併せると,他に何もない極めて狭小な小部屋でただただ洗脳的に映像を見せられているものかのように見えるものになっている。)。確定判決の内容と異なる記載をただ一人の元生徒の伝聞の形で書くとすれば,他生徒や教団への取材等,真実であると判断するための慎重な検討が必要であっただろう。

この点で重要なのは,幸福の科学側が問題のある懲戒処分を生徒に科しているのだとしても,その内容の正確性の確認をおろそかにしては行けないという事である。新潮の記事が生徒三人への取材と幸福の科学側への取材申し入れ(断られている)等を経て作成されているのに対し,宗教2世漫画は生徒一人からの取材にとどまり,抗議を行ってきた幸福の科学側の主張については一切聞かないという態度を取っている。これは,名誉毀損の違法性阻却事由に真実性が挙げられていることと整合しない態度と言わざるを得ないだろう。

教義に関しても,宗教2世漫画の記載は,やや安易に母親の問題と幸福の科学の信仰を結びつけすぎている感がある(辛くて学校から逃げ出してきた子どもに対して,話を聞かずに一方的に怒鳴りつける描写など。)。こういった点についても幸福の科学側には言いたいことはあるだろうとは感じられる(この辺りは多くは「配慮」のレベルだろうが。)。

編集部(集英社)側の対応について

上記の状況を前提にすると,編集部としては第5話以外についても検討し,名誉毀損となりかねない事実の摘示に当たる部分の追加取材や,問題なく信仰している人に対しての配慮の要否を判断せざるを得ないだろう。特に,名誉毀損に当たるとすれば掲載をしている会社としても不法行為責任を負う可能性がある。

こういった状況から全話の公開停止及び掲載再開に向けた話し合いに入った編集部の判断は妥当と言わざるを得ない(仮に,摘示された事実が名誉毀損に当たる可能性が低いと考えたとしても,真実性要件のための追加取材をさせる判断は合理的だろう。)。

この点で,作者は以下のように,相手方への取材を拒否している。

これに対して私は、教団にご意見うかがいはしたくないと思いました。時代、場所によって教義が違う団体もあります。都合のよくないことが描かれていたら、反論されるだろうとも思います。その時に嘘つきあつかいされて傷つくのは、お話を聞かせてくださった方です。

https://twitter.com/marikosano_o/status/1504483957811064835

また、誰のことも傷つけないものなど描けないとも思いました。信者の方々はこのマンガで傷つくかもしれない。けれど、だから2世の傷つきをなかったことにしていいとは思いません。傷つけない作品、公平性、中立性、両論併記、そんなことに縛られていたら2世問題は俎上にもあげてもらえないのではないか

https://twitter.com/marikosano_o/status/1504483959010631682

信者は声をあげることができます。信教の自由があるので、社会は宗教を持っている人を責めません。けれど2世は声をあげられず、あげてもなかったことにされ、うまく生きていけなければ責められもします。このことを問題提起するにはまず100%、2世の側に立たなくてはできないというのが、私の意見です。

https://twitter.com/marikosano_o/status/1504483961871151104

しかしながら,当然,この見解は苦しいものであると指摘する必要があるだろう。この主張を文字通り読めば,仮に当該「宗教2世」の人が,宗教団体への恨みから虚偽の被害をでっち上げたとしても,それをそのまま社会に提起することが正しいことである事になってしまう。問題の提起は,それが真実であるから意味がある。真実ではないとしても,そういう被害にあったと誤って思ってしまっていること自体が寄り添うべき事なのだとしたら,そこに寄り添えば良い(その場合,宗教団体の実名を出す必要はないだろう。)。もちろん,取材の結果として宗教団体側の意見を排斥することもあるだろうし,両論併記とした方が良い場合もあるだろう。いずれにしても,名誉毀損が公益性・公共性という目的の正当性だけでなく,真実性も要件としているということを軽視してはならない。

なお,この点について,集英社側は以下のように記載し,あくまでも編集部として事前に確認するべきところができていなかったものとしている。こういった記載からも,単に作者や抗議者の責任ではなく,編集部の責任としてそもそも掲載するべきでなかったものとしているところであり,作者に責任を押しつけているものではないことが分かる。

連載『「神様」のいる家で育ちました ~宗教2世な私たち~』につきまして検証した結果、本来、制作段階にて編集部が行うべき事実確認や表現の検討が十分ではない箇所がございました。

「神様」のいる家で育ちました〜宗教2世な私たち〜 | よみタイ

まとめとして

本記事として検討した事項のまとめは,冒頭に書いたとおりである。ただ,この記事を書いた動機としては,昨今の表現の自由を巡る議論において,表現の修正,撤回や,事前の配慮を行う事に対して反対する言動があまりに目に余るように感じたことにある。表現の自由は,社会における様々な意見を尊重し,調整するために,議論の前提として意見自体が言えないと意味がない,ということに重要性がある。その意味で,特に表現内容に着目した規制は厳格な基準で必要性,相当性が審査される等,憲法上も特別な配慮がなされているが,他方で,表現でありさえすればどんなことでも認められるという絶対的権利でもない。その一つが名誉毀損であり,他者の名誉を害する表現はその内容に着目した上で,認められないものとされているのである。但し,前記の表現の自由の重要性も踏まえて,公共性・公益性があり,真実であれば(あるいは真実であると信じたことに相当性があれば),違法性を認めないとすることで,表現の自由との調整を図っているのである。こういったことを無視し,本件を宗教団体による表現の自由への弾圧だと安易に叫ぶ姿勢は,結局は,宗教団体の権利を無視して良い敵と見なしているに過ぎないものと断ぜざるを得ない。表現の自由の限界を意識せず,事案への慎重な配慮もなしにその危機を声高に叫ぶ人達は,実際には多数派に有利な表現規制のみを無意識に当然視しているに過ぎないのではないか。インターネット空間が,公平な議論が評価される場所であることを望んでいる。

はあちゅう氏は”セクハラ告発トラブル訴訟”で「A弁護士」を相手に開示請求を行ったのか

これもニッチな解説ではあり、また、憶測に過ぎないものではあるが、少しだけ確認をしておきたい。

 

bunshun.jp

 

ここに紹介されている事例については、記載されている情報を見る限りでは、はあちゅう氏の勝ち目は薄く、不当訴訟と言えるかどうかはともかく、これに付き合わされる被告であるA弁護士への同情を禁じ得ない。はあちゅう氏はいわゆるmetoo運動ブーム時に自身も第三者の実名を挙げて告発を行っており、その当人がこの記事に記載されているような批判に向き合わないばかりか、訴訟まで起こしてそれを止めようとしてくるというのは、どのように自身の中で整合性を持たせるのか、興味深くすらあるというところである。

 

ところで、この記事において、はあちゅう氏が行っているとされる大量の開示請求への言及があることもあり、ブコメにA弁護士を対象とした開示請求がなされ、それが認容されたことによる開示情報を基に訴訟が行われている、という理解をされていると思われる方が散見される。しかしながら、おそらく、本件では開示請求は挟まれておらず(あるいは開示請求をしても認められず)、直接訴訟を提起したものと思われるので根拠を記しておきたい。

 

根拠1.訴状が「突然」「事務所に」届いたこと

発信者情報開示が行われる場合、プロバイダ責任制限法により、被開示者には意見照会がなされることになっている。ところが、A弁護士は、訴状が突然届いたと述べており、このような意見照会はなかったと読むのが自然である。

しかも、訴状はA弁護士の自宅ではなく、法律事務所に届いている。もちろん、A弁護士が事務所のインターネット回線を利用してtwitterへの投稿を行っている場合等、開示情報が事務所の所在地であったということは十分に考えられるし、その場合、事務所に訴状を送ることもあり得るかとは思われる。

他方、A弁護士は上記の記事では匿名とされており、また、twitter等でもハンドルネームを利用しての活動をされているものの、顔写真付きのプロフィールで、実名と所属事務所も簡単に調べることが可能となっている。また、はあちゅう氏のサロンでの発言と、今回問題となっているツイートの関連性は明らかであるため、はあちゅう氏からすれば、少なくとサロンの情報からA弁護士の特定につながる情報を入手できたものと思われる。そうすると、サロンの性質からして、A弁護士は実名の登録をしていた可能性が高いように思われ、はあちゅう氏はA弁護士の実名を簡単に知ることができたと考えられる。

このような状況では、はあちゅう氏は、時間と手間がかかる割に成功するか不明な開示請求等を行うことなく、訴状を直接A氏の事務所に送達をすることが可能であると言える。他方、通常、個人相手の訴訟の場合には、住所に送達を行うことを第一に考えるが、そのためには開示請求等の一定の手続きが必要となるところ、自宅住所には訴状は来ていないようである。

そうだとすると、事務所に訴状が届いたことも、開示請求を通さずに訴訟を提起したという方向に親和的な事実と言える。

 

根拠2.A弁護士の発言の違法性はないか、あっても阻却されそうであること

A弁護士の発言は、以下のようなものであった。

《そう言えばかつて某オンラインサロンでセクハラ被害の告発(真実かどうかは不知)がなされたのに、サロンのオーナーが告発投稿を無断で削除したときは、普段温厚な私もキレた。セクハラ被害を開示した者の声に十分寄り添わないオーナーの姿勢に絶望した。オーナーは女性だった》

この発言は、オンラインサロンのオーナーが、サロン内のセクハラ告発について、十分に検討、対応せずに無断でこれを削除するような人物であるということを適示しているもので、その社会的評価を下げるものと言い得るから、名誉棄損であると一応は言えるだろう。

しかしながら、この発言ははあちゅう氏をことさらに明示した発言ではない。A弁護士のことを知っていれば簡単にはあちゅう氏であると特定できたのかもしれないが、そう考える資料は少なくとも記事上にはなく、裁判所としても、権利侵害の明白性を簡単に肯定できる発言とは考えにくい。

また、この発言は、セクハラ被害告発の取り扱いに対しての問題提起という公的な意味合いを持っていることが明らかで、真実性についても、サロン内の投稿という形に残るものであるため、比較的立証しやすいものになっている(「無断で」が微妙だが。)。そうすると、権利侵害の明白性という観点で、裁判所がこれを認容するということはやはり少し考えにくい。

したがって、内容からも、開示請求を通したとは考えがたいということになる。

 

というわけで、明確な根拠はないものの、私の感触からすると、ほぼ確実にいきなり訴訟に来たという見方で良いように思われる。その点、もし裁判所批判等を考えておられるのであれば少し慎重に、ということだけ記しておく。

河村名古屋市長の行為は器物損壊に当たるのか

最近,はてブコメントしかしていなくて,長文を書くときは匿名ダイアリーにしていたものの,ある程度理屈を付けて残しておいた方が良いかなと思うことも増えてきたので,ダイアリーを復活させることにした。

 

最初の話題としては,なんともというところではあるが,河村名古屋市長が表敬訪問に訪れた選手の獲得した金メダルを噛んでポーズを取ったという話が炎上をしている件について言及したい。

mainichi.jp

www.jiji.com

 

この件について,はてブを見る限りは批判一色という形になっており,個人的にも一つ一つの批判について,それほど異論があるわけではない。また,河村市長については表現の不自由展を発端とする一連の騒動でマイナスの印象を持っているため,名古屋市民ではないものの,政治家という立場では居てほしくないと思っているので,あまり擁護もしたくないというのが本音ではある。

しかしながら,今回の行為は,少なくとも一昔前には,メダル獲得者本人のパフォーマンスとしてはよく見られたものに過ぎず,ある種の「過失」的に行ってしまったものに過ぎないように思われ,似たような批判が何百と並ぶような炎上をさせるような事だろうかと疑問を抱いた。最近話題になりがちのキャンセルカルチャーやポリティカルコレクトネスの加熱も想起させられるような状況に見える。

そういった中で,今回の行為が器物損壊にあたるものだという指摘を見たので,少しその点を検討しておきたい。

器物損壊の要件

ここでの器物損壊とは,刑法における器物損壊罪を指すものと考える。器物損壊罪については,刑法261条で,

前三条に規定するもののほか、他人の物を損壊し、又は傷害した者は、三年以下の懲役又は三十万円以下の罰金若しくは科料に処する。

 と規定されている。この「損壊」は,物理的に破壊することのみを表すものでなく,心理的にその物を使用できなくさせるような行為も含んでいるとされている。

よく上げられる有名な事例としては,食器に小便をした行為が器物損壊に当たるとしたものがある。本件は,食器を消毒することで再度使用することが可能であるとしても,心理的に誰も使いたがらないだろうということで,器物損壊の適用を認めているものである。物を所有している利益を保護するという目的を考えれば,物の効用を失わせる行為について,物理的な変化をもたらすものだけではないとすることには合理性があるだろう。いわゆる「事故物件」も似たような考慮がされていると言えるだろう。

金メダルに噛みつくことは器物損壊か

上のように考えると,金メダルに噛みついた今回の行為も,おっさんが噛みついた金メダルを持っていたくない,気持ち悪い行為で価値は失われたのだから損壊だ,という議論はあり得るようにも思われる。しかしながら,少なくとも,刑事罰規定としての器物損壊罪の適用を検討するのであれば,より精緻に,金メダルの物としての効用はどこにあり,それがどのように毀損されたのかを考える必要があるだろう。

陳腐な物言いかもしれないが,金メダルの価値とは,物としてのその物にあるのではなく,オリンピックで1位に輝いた栄誉をたたえる,その象徴としての意義にあるのではないだろうか。そう考えると,他人の金メダルに無断でかじりつく行為は,敬意を欠いた無礼な行為であるかもしれないが,そのことで金メダルが持っている象徴としての価値が,すなわち,選手の努力と,その末の結果の価値が貶められることはないように感じられる。

食器に小便という行為は,食器が物を食べるために使われるものであり,その利用方法ができなくなる以上,効用が失われたと言って良いが,金メダルはそのように「使う」ものではなく,簡単に類推してしまうのは問題があるだろう。

今回,金メダルの持ち主である選手は女性選手だったということもあり,「おじさん」への嫌悪感で,ご本人は,「もうこのメダルを持っていたくない」と感じられているかもしれない。しかし,(こう言うと反発を受けそうではあるが)たかだか,他人の口が付いた程度であり,それを安易に「おじさん」という属性への気持ち悪さで,一般的な損壊に当てはめて良いのかということは考慮せざるを得ないだろう。好きな相手の口であればキスだってできるわけで,一般に口が付いたこと自体が直ちに損壊に当たるような「不潔」な行為であるとは言いがたい。同意がないことにセクハラ的な側面があるとしても,それを物にまで拡張していくことには,それなりに理由が必要だろうと思われる。

もちろん,それも効用との兼ね合いがあり,例えば,好きな子のリコーダーをなめ回すという漫画的なテンプレ行為があるが,これは,リコーダーが同じ部位に口を付けて使うことが想定される物である以上,損壊と言える可能性が高いと思われる。それと金メダルが同じなのか違うのか,立場は分かれるかもしれないが,少なくとも,一般に同じであるとして刑事罰を適用することは困難だろう。

というような辺りで,私の判断としては,今回の行為を器物損壊ということはかなり難しいのではないかということになる。

セクハラには当たるのか

ちなみに,今回のメダル齧り付き行為がセクハラに当たるという言及も多く見られた。ただ,上記のリコーダーなめ回しが,いわゆる「間接キス」を想定した性的行為である事に対し,(本人が)メダルを囓る行為は,前述のように少なくとも昔は一般的に見られたパフォーマンスの一つであり,とっさにそのまねをしてしまったと見られる今回の行為について,性的な要素が生じる余地というのは少ないように思う。これも,おじさんと若い女性という関係性や,パワハラ的な力関係があること,口を付けるという行為自体が持つ性的要素からセクハラではないかという指摘が出ることは感覚的にわからなくもないのだが,問題の本質からずれた批判になっているように感じるところである。